7月の追いこみ, 8月の鼻先であるこのごろを称えて夏の真ん中, 真夏だと言う. 毎年出るニュースだが今年も歴代最高の暑さで昼には蒸し器, 夜には熱帯夜に人々はくたびれている. こういう時必要なのが '休み'だ. 忙しいほどまた急がば回れで言ったし, 車が全速力で走る高速道路に必ずレストハウスがある理由も休むことと彼を通じる回復, そして余裕を捜すためだからだ.
しかしまともに休むための所を尋ねるのは甘くはない. 真夏はすぐオンシーズンでもあるからだ. 避暑ができる所だと知られればその所は人々で人だかりを成す. むしろ休もうとしたがストレスを受けることもできる.
それで捜してみた. まだ知られない未知の所, いっしょに高くも遠くもない京畿道あちこちに位置した谷を 10ヶ所よく見た. 超豪華施設を誇るウォーターパークではないがこちらは人に轢かれるとか遊び器機に乗るために待つうんざりすることと言う(のは)ない. お休み本然の義務である休むことが生きている無名(無名)谷 10線を紹介する.
ゾムラックゴ−ルは多様な瀧の水と深い淀み, 奇妙な岩たちが手を取り合って美しい自然をもたらす. ゾムラックゴ−ルで一番ずば抜けた絶景は復呼など瀧. 用水洞バス終点である 38校で谷をはめて 45分頃歩けば右側にゾムラックゴ−ル支流が垂れる. この道で 5吹いた余り上がれば復呼など瀧が喜ぶ. いくら照りこんでも復呼など瀧には水が乾かない. 悲歌よく来ないボムがウルには竜しっぽを連想させる水かさが岩壁をじっとり濡らす. 雨が多い夏季には 5メートル幅の崖をぎゅっと満たして 20余メートル高さで大きく力強く零れ落ちる水かさが壮観だ. 真夏にも冷ややかな寒気がだしぬけに襲撃したら, これほどのリゾートも珍しい.
* 尋ねる途中 - ガピョンから羊飼いを経って 75番(回)国道に付いて走ればゾムラックゴ−ル入口である 38校に触れる. 大衆交通はガピョンから用水洞に行く市内バスを利用する.
▲ ガピョン幽明山入口地谷 =加平郡雪岳面と揚平郡玉泉面の境界に湧いた幽明山は海抜 844メートルとは信じられない位雄大壮厳な山勢を誇る. この山勢程渓谷美もずば抜ける. 幽明山の多くの谷間の中で代表与えようという北岸で流れる入口地谷だ. 約 4kmに至る幽明山入口地谷は奇岩怪石と深い淀み, 多様な瀧などが一団となって ‘本当にきれいだ’と言うものが自然に出るようにする. 青みを帯びた庭先所, 竜沼, コウモリ所などが足を止めるようにして雪岳山千仏洞渓谷を縮小したようだという賛辞を送る人々もいる.
冷たい水に足を浸して昔の先人たちのように濯足を楽しんでいたら疲れが解れて暑さをすっきり洗い出すことができる. 昔には日が照りこめば竜沼で雨ごいの祭を執り行なったと言う. また幽明山一帯に畜産農家がなくて水が清くてきれいだ. 透明な水中をのぞき見ればあぶらはやなど日給数魚種が私の世の中会ったように掻き乱して通う. 山登りを楽しんでも良い. 週計曲右側に垂れた山道で 1時間 20分頃登れば幽明山頂上で, 頂上で谷に沿って 2時間ほど伝われると駐車場に着く.
* 尋ねる途中 - 清平とヤンピョンを引き継ぐ 37番(回)国道を利用する. 大衆交通は清凉里と清平でバスを利用することができる.
▲ 洋酒ウォンカク寺谷 =高麗時代と朝鮮時代に王が功を立てた王族や臣下に地や奴婢を下賜する時その所有権を認める文書を賜牌(賜牌)と言う. ブッカン山国立公園を成す山岳の中一番北に位した賜牌山は先祖の 6目娘であるゾングフィオングズが有情量にお嫁になる時下賜した山だという付いた名前だ. 海抜 552メートルであまり高くないながらも奇岩塊峰と鬱蒼な茂み, 美しい谷が調和して素敵な風光をもたらす. しかしブッカン山国立公園の中に一番人離れてさびしい所に参席したわけなのか捜す人が少なくてうら寂しい味を漂う.
賜牌山が解くことは谷間の中で一番原始的ながら可愛らしい所はウォンカク寺谷だ. 賜牌山西の方裾でうねるこの谷はあまり長くないが雄大で威厳がある瀧の水をふたつや従えているし, 深い淀みと清い渓流が一団となって風光がずば抜ける. 何よりであったことが珍しくてものしずかに休むことができるという点が魅力だ. 谷の名前を生んだウォンカク寺は大雄殿と梵鍾閣, ヨサチェ, 青銅座仏などを取り揃えた査察で優雅で淡白な感じを与える.
* 尋ねる途中 - 松楸で議政府方面 39番(回)国道に走っている途中ウォンカク寺に右折する. 大衆交通は 3号線旧把撥役で議政府行バスに乗って松湫駅を通ってウォンカク寺入口で降りる.
▲ 南揚州飛禽渓谷 =受動国民観光地は清い水がこんこんと流れてムルゴ−ルアンというニックネームも得た. ソリ山, 祝霊山, 寿錦山, 天馬山などが屏風のように取り囲んでいて風情が一品である所で, 多くの谷たちで成り立っている. 受動国民観光地の最上類に位した飛禽渓谷は約 2kmにかけてつながるのに, 鬱蒼な茂みが濃い陰を垂れて凉しくてきれいな水が流れてリゾートで愛される. 飛禽渓谷に付いて上がっている途中シル峰につながる軽い登山路を手探りすることも良い.
飛禽渓谷入口にはモンゴル文化村があって風変りな見どころを提供する. こちらはモンゴル遊牧民の移動式伝統家屋であるゲル(GER)街立てられているのに, 皆モンゴルで直接持って来た材料で作ったのだ. 中央にいる大型ゲルであるモンゴル文化展示館には遊牧民の伝統服とサドル, 装身具, 生活用品, 楽器類など 150余点が展示されていて, モンゴル民俗芸術公演場と馬上公演場も取り揃えている.
* 尋ねる途中 - 磨石から受動を経って入って行く. 大衆交通は清凉里であかがね-南揚州-磨石を経って飛禽里で行くバスを利用すれば良い.
▲ 南揚州水落山ウンリュゴ−ル =ソウル蘆原区上渓洞と議政府市, 南楊州市別内面の境界に湧いた水落山(638m)は巨大なお影石岩壁が露出しているが山勢はあまり険しくない. 受諾(水落)という生きた名前は東岸の多くの瀧で水が落ちるからといって付いたように見える. 水落山東裾を流れる谷はよく青鶴洞だと呼んでオックリュポックポ, 金類瀧, 隠流瀧, 殷盛瀧などの明快な水かさを従えている. それで谷入口はちょっと失望だ. 私有地なので商人たちが占領しているせいだ. その素敵だったオックリュポックポももうプールに変わってしまった.
しかし上流に入ればすぐ安心するようになる. 30分頃上がれば谷がふたつに割れる. 右側は金類瀧がある金類冬天で大部分の水落山登山客たちが上がる道で, 左側は隠流瀧があるウンリュゴ−ルだ. 人跡が珍しいウンリュゴ−ルで立ち上がる. 小さな一対瀧を経てば雄大壮厳な岩壁に沿って流れる殷盛瀧に至る. あんまり外診所なので水遊びを楽しんで蒸暑さを洗って下るのにすごい日給リゾートだ. ただ隠流瀧行く道は滑めらかだから専門家ではないなら挑戦は禁物だ.
* 尋ねる途中 - 退渓院と議政府を引き継ぐ 43番(回)国道を走っている途中チォングハックリで受諾産油原紙方面に入って来る. 大衆交通は 4号線タンコゲ駅でチォングハックリヘングバス利用することができる.
▲ 東豆川タップ洞谷と往訪瀧 =東豆川市内で洞方へ 7km 離れた所に海抜 737メートルのワンバン山が湧いている. ワンバン山は王が訪問した山という意味で, 高麗光宗 23年の 972年道銑国師の遂行する時光宗が親しくお出ましして励ました後殖やす名前と伝わる. ワンバン山とその北につながった国士峯(754m) の間で 6kmにかけて流れる谷間がタップ洞谷だ. タップ洞という名前は隣近に高麗末期に立てられたことに推定される3層石塔と石仏があったと言って称えることで, 3層石塔は日帝強制占領期間の時遺失されて今は石仏だけ残っている.
タップ洞谷は ‘東豆川の茂朱九天洞’という別称を得るだけ景観が美しい. 長い谷に沿ってナングバウィ, 息子岩, 層台岩, ズルバウィ, 小河川などあらゆる形象の岩盤と石壁, 奇岩怪石がつながる. タップ洞谷の上流地域は往訪谷だと呼ばれたりするのにこれは往訪瀧のためだ. ワンバン山西の方で発源した水かさが 3kmほど下った地点に位した往訪瀧はデコボコした奇巌絶壁に乗って零れ落ちて下る姿態が雄大で威厳がありながら険しくて真夏にもぞっとするほどぱっちりする.
* 尋ねる途中 - 東豆川で 364番(回)地方島に沿って入って来る. 大衆交通はタップ洞-往訪方面東豆川市内バス利用すれば良い.
▲ 抱川宝蓋山深い峡谷 =抱川と連川の境界にジジャン山またはジジャン峰だと呼ばれる峰がある. しかしそれは日帝の時の総督府が過ち付けた名前であり, 私たち昔の文献たちは専ら宝蓋山だと表記している. 宝蓋山は王健に追い回されたクンイェが最後の一戦をした所でもある. 宝蓋酸性だと呼ばれる城跡がまさにその歴史の現場で今は 70メートルくらいの石垣がところどころ残っている.
宝蓋山東岸で発源して南方へ道なのつながった谷間が差し支え谷とも称える新興洞深い峡谷だ. 昔の文献に ‘宝蓋山東両側で峰が高く湧いて水路がやっと通じるゴールの中に白い石たちが乱れているように敷かれてあるいは深いくぎを成してあるいは短い瀧を成す’と書かれている美しい谷だ. こちらを新興洞だと呼ぶわけは昔に東西 15間, 南北 40間規模の神興寺があったからだ. 深い峡谷の水は重利貯水池を成した後に南に経って漢灘江と会う.
* 尋ねる途中 - 抱川と鉄原を引き継ぐ 87番(回)国道に付いている途中中1里で入って行く. 大衆交通は抱川から官仁面重利で行く市内バスを利用することができる.
▲ 議政府賜牌山フェリョングゴ−ル =賜牌山東岸のフェリョングゴ−ルはフェリョン寺と石窟庵など二つの考察をおさめたうえに谷風光がずば抜けて凉しくて文化遺産探訪を兼ねて夏季避暑を楽しむのにすごい. フェリョングゴ−ル探訪案内所で 600メートル地点の三叉路で直進すればフェリョン寺, 右側険しい道に上がれば石窟庵につながる. フェリョン寺は新羅新聞王 1年の 681年にイサン大師が創建したと伝わる考察だ. 天然石穴である石窟庵は李成桂が朝鮮太祖で上がる前に無学大師と一緒に 3年間大業経綸を開いた所だと伝わる.
探訪案内所からフェリョン寺にのぼるフェリョングゴ−ルは谷出入りが禁止されていてただ見下ろす道理しかない. そうだとして避暑を楽しむに値する所がないという話ではない. フェリョン寺でもうちょっと上がれば出る分かれ道から右側支流に入って行く. しばらく後支流クトモリ絶壁の下で清い薬水が沸き立つ. 峡谷を成したこちらはいつも凉しい風が吹いて真夏にも冷ややかだ. ここで薬水を飲んで休息を取って暑さを洗う味は最高だ.
* 尋ねる途中 - 議政府西部路を利用してフェリョン寺方面に入って来る. 大衆交通は 1号線回竜駅を利用すれば良い.
▲ ヤンピョン碧渓9曲 =露文8頃のひとつの碧渓9曲は通方山と谷逹山の間をうねて流れる清い谷だ. 露文里で始めて北漢江と会う収入里, すなわちムード里に至る碧渓遷移まるで新を(乙)字模様で流れて曲がりごとに催す趣を九個で分けて旧穀(九曲)で決めたのだ. 第1曲は外需口(外ムード里), 第2曲は内需口(振付スリー), 第3曲はゾングジト(イゼシン先生の旧跡), 第4曲は竜沼, 第5曲は育ちなさい, 第6曲は分設談, 第7曲は石門, 第8曲はソックサチォン(俗事村の前を流れる川辺り), 第9曲は一周癌(ガルムンバウィのソンバウィ)を言う.
碧渓旧穀一員には楢柏とつつじなどが鬱蒼な森を成しているうえ陰になった谷には岩盤が整然と並んで休息を取るにもすごい. なおかつ心配が深くなくて水勢も強くない方なので子供を伴った家族たちが水遊びを楽しむのにうてっつけだ. 碧渓9曲初入である露文1里は朝鮮末期の性理学者である花序李恒老(1792‾1868年) 先生が生まれた所だったりあるが, 親里がよく保存していて立ち寄って見るに値する.
* 尋ねる途中 - ヤンスリで清平方面北朝鮮川辺道路に付いている途中収入里で右折. 大衆交通はヤンスリで門戸里を経って露文里に行くバス利用することができる.
▲ 驪州締め切り山系曲 =マルガムサンとも呼ばれる締め切り山は海抜高度 388メートルに過ぎないがこのあたりでは一番高い. 驪州郡誌によれば北伐の功を立てた緩み出し将軍が英月桜で言葉を解いておいたらこの山に行ったのであの時から締め切り山(馬甘山)だと称えたと言う. また昔にこの山に住んだ鬼ばばが人々に意地悪をして苦しめたり時には生命をペアッギも日住民たちを不安に震えるようにしたという伝説も伝われるのに, 隣近北内面ソックウリには鬼ばばの杖で伝わるソンドルがある.
締め切り山系曲は規模が小さくて素朴だ. しかし結構しゃれた心もち短い瀧もあって清い水で遊び歩く小さな魚を捕る楽しさも味わうことができる. 何より鬱蒼な森を成した森林浴場が落ち着いていて谷避暑とウッズベーシングを兼ねることができるという点が魅力だ. 締め切り山森林浴場で瀧を経って頂上に上がった後に城主峰と松群落を経って森林浴場で戻る長さ 6qくらいの山行(約 2時間 30分所要)をして見ることも良い. 頂上で見下ろす驪州平野と南漢江風景が美しい.
* 尋ねる途中 - 驪州で京畿道学生驪州キャンプ場(京畿道庁少年修練院) 方面に来る. 大衆交通は驪州でゴルウンリ方面のバスを利用すれば良い.
[毎経ドットコム張駐英記者 semiangel@mk.co.kr]毎経ドットコム旅行/レジャーツイッター_mktourworld
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